8月10日(水)
ポメラが届いた。
それ以外は覚えていない。
ポメラが届いた。
それ以外は覚えていない。
8月11日(木)
この日から夏休み。
11時半ころの新幹線に乗って1人新潟の田舎へ。
5日間家の片付けを手伝いに行くのだ。
隣の席には若いTheキャリアウーマンがPCを開き資料を読んでいる。
私はつまみとチューハイをいただきながらポメラの説明書を読んでいた。
車内販売が来たので私はポテチを追加。
キャリアウーマンはミネラルウォーターを所望。
さすがキャリアウーマンだと赤い顔をしながら思った。
するとウーマン、ビックリしたことに飲み物や食べ物をかかえ
荷物の多い販売員に、「(財布の入った)あのカバン取ってください」と
棚を指差して言っていた。
販売員の男性は動きが取れないのでと断っていたが・・
なんでそんなに上からやねん。
Theキャリアウーマンはめんどくさい。
---
越後湯沢で乗り換えようとしたら、その先が土砂崩れの影響で動かずバス代行となった。
隣の席の女の子と仲良くなり、バスとほくほく線の中で色々と話をした。韓国のこととか。
↑ほくほく線 可愛い2車両。
1時間到着が遅れてしまったが
なんとかまつだい駅周辺アートガイドに間に合った。(取材)
ガイドをしてくれたおっちゃんに、お祖母ちゃんが室野に住んでいるというと(そこから車で20分ほど)どこの人かと聞かれ、分からないだろうけどと祖父ちゃんの名前を言ったら「ああ先生の孫かい」と知っていた。
さすが祖父ちゃんや
--
6時過ぎに遠い親戚の陽子さんが車で来てくれ、
駅のお店で食事して家に行った。
その日は片付けの手伝いすることなく10時半には就寝。
8月12日(金)
5時すぎにでかい蚊の羽音にて起床させられる。
ゴミ捨てに行ったら何人かに会った。皆早起きすぎる。
暑くなる前にと片づけを開始し一仕事して7時すぎ朝食。
8時のドラマを見たあと片付け開始、おやつを食べて片付け、昼食、とけっこう休憩も挟むのでそこまでの疲労は無かった。
朝方急遽次兄が来た。2時過ぎに車で買い出しに十日町まで行くというので(周りに店が無いのだ)
乗せてもらっていくつかアートを周った。どうやって周ろうかと思っていたのでラッキー。
写真を撮ることに協力してもらうため、ライターをやっている事を初めて伝えた。
叔父の同級生が営む蕎麦屋にも寄った。
ここも勿論祖父母の事を知っており、
おばあちゃんがいなくなると寂しいねなどと
色々と話し、お土産を貰った。
店の前で写真を撮ったり色々していたらお金を払うの忘れていた。
(東京に帰る時に払いに行った)
兄は20時頃に帰って行った。
↑兄ちゃんサンキュー!(いつもは会話無いけど)
--
60代ながら元気でよく動き話好きな陽子さん。
夜中まで話しながら11時半頃寝た。
思春期の孫の扱いについてアドバイスを求められた。
8月13日(土)
この日も5時半頃に起床して夕方頃まで片付け。
風呂が壊れているので2日間も入れなかったので
この日こそは温泉だと言って、日本三大名湯の一つ、松之山温泉に行く事に。
↑陽子さんと美人林で。おばあちゃん撮影
とてもいい湯だったがアブが半端なくいて何匹かつぶした。
その後も、私は黒い服を着ていたためにアブに追われつづけラーメン屋とお土産屋に入る際両方ともアブと共に入店し迷惑をかけてしまった。
--
広い家にたくさん残った品々。
祖父ちゃんは金持ちだったしみな良いものばかり。
それにメダルや賞状、トロフィー、写真、ビデオテープなど捨てるのに勿体無いと思うものばかりだが
これからお祖母ちゃんがずっと住むのはひと部屋で、
厳選したものだけを持っていくしかない。
お祖母ちゃんが持っていくものと周りにあげるもの、捨てるものを選り分ける。
我が家にも大量に回ってきたがやっぱりおばあちゃんが一番手放しがたいものが多い。
しかし昼過ぎに電話で叔父さんに「アレとアレ以外全部置いていけ」と強い口調で言われてしまったようで、
随分と落ち込んでしまいポロリと泣いてしまった。
(私もつられて泣いた)
3人で男はダメだという話をし、
優しい陽子さんが「大事なものはうち(福島・こちらも半壊のため建て直す)で全部預かるから、使う時に遊びがてら来たらいいよ!」と笑顔で言ってくれた。
そんな事言ってくれるなんて、いい人だよとまた涙が・・
うちももっと片付いていて広ければなあ。
--
腰と背中にシップ貼った。人生初だ・・
85のおばあちゃん、60代半ばの陽子さんはしていないのに情けない。
8月14日(日)
5時台起床。
7時に3人でお墓参り。
お寺に寄ると震災でずいぶんやられていて、奥までは行けない状態だった。残念。
↑このあと墓の中の骨の写真を撮っていたらさすがに2人にえーと言われた。
働き者の陽子さんが帰るというので片付けの際に大量に出てきた引き出物やら何やらを車に積んだ。
陽子さんとは今まで法事で数度会っただけなのだが、今回でずい分仲良くなれた。
↑ようこさんが拾った、まだ翅が固まっていないセミ。透明。飛べないらしく歩いていた。
--
昼、ご飯を食べながらのど自慢を見ていると、
うちの父さんも昔出たことがあるらしいよとおばあちゃんに聞く。
鐘は一つだったらしい。
--
大量の額を外し、中の賞状や写真を抜き出す作業。
1枚を残し全部燃やすと言うのでこれまた勿体無いなあと思いいくつか写真を撮った。
↑数多くの賞状。途中から広げるのが面倒になったという写真
じいちゃんは写真好きだったが私はその血を継いでいるのだ。
3時頃に母が到着。
この日はいつものゆのしま温泉。
帰って寿司を食べたあと寺の前でやる盆踊りに母と行ってみた。
ヨイヤーサー、ヨイヤーナー、と地元の人が歌い
それに合わせて踊る。
さすがお盆なだけあっていつもはいない子供達や若い人がたくさん来ていて賑わっていた。
↑祭りの帰り、階段を下りてくる親子。ぼんやりしてるけど良い写真だ。
寝る前、じいちゃんの大量の写真を見た。
温泉やホテルのお風呂に入っている写真がけっこうあって笑った。
それと海外で撮った小エロな壁画や像の写真も数枚あった。
自分がそこに行ってもたぶん撮っていたと思うので貰ってきた。
8月15日(月)
6時起床。あっというまに帰る日だ。
壁からカリカリとネズミが何かしている音で目が覚めた。
前日、じいちゃんの写真の中に家に出たネズミを大量に仕留めた写真を見つけ、こりゃ凄いわと私が笑っていたせいだろうか。
震災で色んなところが歪み閉められない部分も多いから出入り自由なのだ。
↑早朝、村の人がいらなくなった額縁や絵を取りにきてくれた。あとで分解して廃棄してくれるらしい。
--
朝食をすましたあと、近所をぐるっと一周してみる。
ちょっと離れているところで、小さい頃にお菓子を買いにいった場所にいく。
もう随分前に無くなったと聞いていたが一応。
しかしやはり見当たらずで、そこにいたおばあさんに聞いてみると
「そういう店はもう無いのよねえ、あるのはそこの自販機だけ」と教えてくれた。
スーパーもコンビにも、食べ物を売る商店がこの辺りには無い。
するともう1人おばあさんが近づいてきて、
あんたどこの子?とまたなった。
じいちゃんの名前を告げるとすぐに分かって
泊り込みでおばあちゃんに縫い物を習ったりお世話になったのよと
キュウリのもぎたてを10数本貰った。嬉しい。
↑早起きするとキュウリがもらえる
帰って大量の写真を見たが見切れず。
自分達が貰っていく布団やら未使用の鍋・食器なんかを車に運んだ。
家を出る時、玄関横に開いた穴を見て
ネズミが入り放題だねとおばあちゃんに言うと
「いない間、ネズミはお留守番」と言う。
可愛らしい答えだ。
---
蕎麦屋にお金を返しに寄ってもらった。
相手はそんなのいいと電話で言っていたがお土産までもらって食い逃げはないだろう。
家を14時に出て、千葉におばあちゃんを送り届けて東京に戻ったのは23時。
その間荷物に挟まれながら縮こまっていたのでとても疲れた。
大量の荷物を汗だくで家に運びこみ、片付け5日間は終わった。
---
そういやせっかく買ったポメラ、大して使う事なかった。
8月16日(火)
夏休みラスト日。
東京の異常な暑さたるや。
汗をかきながら編集作業を開始したが集中力続かず。
夕方からノロノロ動き出してカルカル4周年パーティに向かった。
↑玉置さんが撮った写真。ブレブレ。このカメラ、定まるまで時間がかかるのだ
パーティにはマニアックな人たちが多くて面白そうだったが
人見知りのため始終ライター仲間と話していた。
バカドリルの天久さんと挨拶できた(数人のうちの1人として)のは嬉しかった。
帰る時、1人だけやたら白い、白すぎるとイジっていた石川さんと腕を並べてみたら同じ色をしていて
自分の白さを知った。
もっと外に出て健康的になりなさいよという意味をこめてイジっていたのでそれが自分に跳ね返ってきた。
---
人のお腹をつつく癖が出ていたので、だいぶ酔っていたようだ。
若干二日酔い。
↑撮った記憶ない写真
この日から夏休み。
11時半ころの新幹線に乗って1人新潟の田舎へ。
5日間家の片付けを手伝いに行くのだ。
隣の席には若いTheキャリアウーマンがPCを開き資料を読んでいる。
私はつまみとチューハイをいただきながらポメラの説明書を読んでいた。
車内販売が来たので私はポテチを追加。
キャリアウーマンはミネラルウォーターを所望。
さすがキャリアウーマンだと赤い顔をしながら思った。
するとウーマン、ビックリしたことに飲み物や食べ物をかかえ
荷物の多い販売員に、「(財布の入った)あのカバン取ってください」と
棚を指差して言っていた。
販売員の男性は動きが取れないのでと断っていたが・・
なんでそんなに上からやねん。
Theキャリアウーマンはめんどくさい。
---
越後湯沢で乗り換えようとしたら、その先が土砂崩れの影響で動かずバス代行となった。
隣の席の女の子と仲良くなり、バスとほくほく線の中で色々と話をした。韓国のこととか。
↑ほくほく線 可愛い2車両。
1時間到着が遅れてしまったが
なんとかまつだい駅周辺アートガイドに間に合った。(取材)
ガイドをしてくれたおっちゃんに、お祖母ちゃんが室野に住んでいるというと(そこから車で20分ほど)どこの人かと聞かれ、分からないだろうけどと祖父ちゃんの名前を言ったら「ああ先生の孫かい」と知っていた。
さすが祖父ちゃんや
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6時過ぎに遠い親戚の陽子さんが車で来てくれ、
駅のお店で食事して家に行った。
その日は片付けの手伝いすることなく10時半には就寝。
8月12日(金)
5時すぎにでかい蚊の羽音にて起床させられる。
ゴミ捨てに行ったら何人かに会った。皆早起きすぎる。
暑くなる前にと片づけを開始し一仕事して7時すぎ朝食。
8時のドラマを見たあと片付け開始、おやつを食べて片付け、昼食、とけっこう休憩も挟むのでそこまでの疲労は無かった。
朝方急遽次兄が来た。2時過ぎに車で買い出しに十日町まで行くというので(周りに店が無いのだ)
乗せてもらっていくつかアートを周った。どうやって周ろうかと思っていたのでラッキー。
写真を撮ることに協力してもらうため、ライターをやっている事を初めて伝えた。
叔父の同級生が営む蕎麦屋にも寄った。
ここも勿論祖父母の事を知っており、
おばあちゃんがいなくなると寂しいねなどと
色々と話し、お土産を貰った。
店の前で写真を撮ったり色々していたらお金を払うの忘れていた。
(東京に帰る時に払いに行った)
兄は20時頃に帰って行った。
↑兄ちゃんサンキュー!(いつもは会話無いけど)
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60代ながら元気でよく動き話好きな陽子さん。
夜中まで話しながら11時半頃寝た。
思春期の孫の扱いについてアドバイスを求められた。
8月13日(土)
この日も5時半頃に起床して夕方頃まで片付け。
風呂が壊れているので2日間も入れなかったので
この日こそは温泉だと言って、日本三大名湯の一つ、松之山温泉に行く事に。
↑陽子さんと美人林で。おばあちゃん撮影
とてもいい湯だったがアブが半端なくいて何匹かつぶした。
その後も、私は黒い服を着ていたためにアブに追われつづけラーメン屋とお土産屋に入る際両方ともアブと共に入店し迷惑をかけてしまった。
--
広い家にたくさん残った品々。
祖父ちゃんは金持ちだったしみな良いものばかり。
それにメダルや賞状、トロフィー、写真、ビデオテープなど捨てるのに勿体無いと思うものばかりだが
これからお祖母ちゃんがずっと住むのはひと部屋で、
厳選したものだけを持っていくしかない。
お祖母ちゃんが持っていくものと周りにあげるもの、捨てるものを選り分ける。
我が家にも大量に回ってきたがやっぱりおばあちゃんが一番手放しがたいものが多い。
しかし昼過ぎに電話で叔父さんに「アレとアレ以外全部置いていけ」と強い口調で言われてしまったようで、
随分と落ち込んでしまいポロリと泣いてしまった。
(私もつられて泣いた)
3人で男はダメだという話をし、
優しい陽子さんが「大事なものはうち(福島・こちらも半壊のため建て直す)で全部預かるから、使う時に遊びがてら来たらいいよ!」と笑顔で言ってくれた。
そんな事言ってくれるなんて、いい人だよとまた涙が・・
うちももっと片付いていて広ければなあ。
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腰と背中にシップ貼った。人生初だ・・
85のおばあちゃん、60代半ばの陽子さんはしていないのに情けない。
8月14日(日)
5時台起床。
7時に3人でお墓参り。
お寺に寄ると震災でずいぶんやられていて、奥までは行けない状態だった。残念。
↑このあと墓の中の骨の写真を撮っていたらさすがに2人にえーと言われた。
働き者の陽子さんが帰るというので片付けの際に大量に出てきた引き出物やら何やらを車に積んだ。
陽子さんとは今まで法事で数度会っただけなのだが、今回でずい分仲良くなれた。
↑ようこさんが拾った、まだ翅が固まっていないセミ。透明。飛べないらしく歩いていた。
--
昼、ご飯を食べながらのど自慢を見ていると、
うちの父さんも昔出たことがあるらしいよとおばあちゃんに聞く。
鐘は一つだったらしい。
--
大量の額を外し、中の賞状や写真を抜き出す作業。
1枚を残し全部燃やすと言うのでこれまた勿体無いなあと思いいくつか写真を撮った。
↑数多くの賞状。途中から広げるのが面倒になったという写真
じいちゃんは写真好きだったが私はその血を継いでいるのだ。
3時頃に母が到着。
この日はいつものゆのしま温泉。
帰って寿司を食べたあと寺の前でやる盆踊りに母と行ってみた。
ヨイヤーサー、ヨイヤーナー、と地元の人が歌い
それに合わせて踊る。
さすがお盆なだけあっていつもはいない子供達や若い人がたくさん来ていて賑わっていた。
↑祭りの帰り、階段を下りてくる親子。ぼんやりしてるけど良い写真だ。
寝る前、じいちゃんの大量の写真を見た。
温泉やホテルのお風呂に入っている写真がけっこうあって笑った。
それと海外で撮った小エロな壁画や像の写真も数枚あった。
自分がそこに行ってもたぶん撮っていたと思うので貰ってきた。
8月15日(月)
6時起床。あっというまに帰る日だ。
壁からカリカリとネズミが何かしている音で目が覚めた。
前日、じいちゃんの写真の中に家に出たネズミを大量に仕留めた写真を見つけ、こりゃ凄いわと私が笑っていたせいだろうか。
震災で色んなところが歪み閉められない部分も多いから出入り自由なのだ。
↑早朝、村の人がいらなくなった額縁や絵を取りにきてくれた。あとで分解して廃棄してくれるらしい。
--
朝食をすましたあと、近所をぐるっと一周してみる。
ちょっと離れているところで、小さい頃にお菓子を買いにいった場所にいく。
もう随分前に無くなったと聞いていたが一応。
しかしやはり見当たらずで、そこにいたおばあさんに聞いてみると
「そういう店はもう無いのよねえ、あるのはそこの自販機だけ」と教えてくれた。
スーパーもコンビにも、食べ物を売る商店がこの辺りには無い。
するともう1人おばあさんが近づいてきて、
あんたどこの子?とまたなった。
じいちゃんの名前を告げるとすぐに分かって
泊り込みでおばあちゃんに縫い物を習ったりお世話になったのよと
キュウリのもぎたてを10数本貰った。嬉しい。
↑早起きするとキュウリがもらえる
帰って大量の写真を見たが見切れず。
自分達が貰っていく布団やら未使用の鍋・食器なんかを車に運んだ。
家を出る時、玄関横に開いた穴を見て
ネズミが入り放題だねとおばあちゃんに言うと
「いない間、ネズミはお留守番」と言う。
可愛らしい答えだ。
---
蕎麦屋にお金を返しに寄ってもらった。
相手はそんなのいいと電話で言っていたがお土産までもらって食い逃げはないだろう。
家を14時に出て、千葉におばあちゃんを送り届けて東京に戻ったのは23時。
その間荷物に挟まれながら縮こまっていたのでとても疲れた。
大量の荷物を汗だくで家に運びこみ、片付け5日間は終わった。
---
そういやせっかく買ったポメラ、大して使う事なかった。
8月16日(火)
夏休みラスト日。
東京の異常な暑さたるや。
汗をかきながら編集作業を開始したが集中力続かず。
夕方からノロノロ動き出してカルカル4周年パーティに向かった。
↑玉置さんが撮った写真。ブレブレ。このカメラ、定まるまで時間がかかるのだ
パーティにはマニアックな人たちが多くて面白そうだったが
人見知りのため始終ライター仲間と話していた。
バカドリルの天久さんと挨拶できた(数人のうちの1人として)のは嬉しかった。
帰る時、1人だけやたら白い、白すぎるとイジっていた石川さんと腕を並べてみたら同じ色をしていて
自分の白さを知った。
もっと外に出て健康的になりなさいよという意味をこめてイジっていたのでそれが自分に跳ね返ってきた。
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人のお腹をつつく癖が出ていたので、だいぶ酔っていたようだ。
若干二日酔い。
↑撮った記憶ない写真
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