「カワイイ(キレイ)は作れる」というフレーズがあるけれど、
カワイイやキレイは「作る」ものなのだろうか?
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保育園に通っていたとき、
白いハンカチに絵の具で絵を描く、というイベントがあった。
わたしは黄色いチョウチョと赤いチューリップを描いた。
たしかそれは見本を真似たものだったが、
先生は上手ねと褒めてくれた。
原色だけつかった、子供らしいカワイイ絵だった。
でも、わたしはそれだけではなにかもの足りない気がして、
色をいくつか混ぜて、下の方に茶色で地面を描いた。
一本筆を横に通しただけで、あ、まずいことしたなと思った。
それを見た先生も、途中までは良かったのにね、と苦笑い。
汚い色で地面なんて描くんじゃなかったなと後悔した。
その時のことを思い出すと、大人になった今でも同じような、
キレイなものだけではもの足りない、そんなメンタリティが残っているなと感じる。
現実はこうだろ、と言いたいのだろうか。
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今朝、母が珍しくLINEで写真を送ってきた。
実家の玄関の横に咲いた1本の菖蒲の写真。
昨年、新潟での最後の法事(山寺にあったお墓を壊し千葉にもってきた)の際に
じいちゃんばあちゃんの家があった所に植わっていたのを
持ってきていたそうだ。
うちの栄養不足でカチカチの庭の土でも
しっかりと根付いて、咲いてくれている。
新潟のたくさんの思い出や風景が、この一本の花で思い起こされた。
なんだか泣ける。
なにも作ってはいないのに、とてもキレイだと感じた。
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